西嶋和紙の歴史
四百有余年の長い伝統とたしかな技術
西島和紙は言い伝えによると、戦国時代に紙祖望月清兵衛翁が伊豆国田方郡立野村(現在の修善寺町)で三椏を原料とした「修善寺紙」の製法を学んで持ち帰っ たことに由来しています。そして、元亀2辛末年(1571年)、西嶋ではじめて和紙を製造し国主の武田信玄に献上したところ信玄公は大変喜んで、特に「運上紙」として認め、西嶋の「西」と辛未に因んで「西未」の朱印をつくり、武田割菱の紋を刻んで清兵衛に賜り、西嶋及びその附近で紙を漉くことと、清兵衛翁 を紙の役人に命ぜられたということであります。
徳川時代までは西嶋を中心とする峡南地域において盛んに製紙が行われましたが、明治以後は峡南地方の各地域で除々に少なくなり、現在では西嶋だけとなりました。
第二次世界大戦後、西嶋では画仙紙の製法を開発するとともに、新しい原料として故紙(三椏等を原料とした和紙で、一度、紙として漉き上がったもの)や稲ワ ラをはじめ様々な素材を導入し、現在に至るまで「書道半紙」「画仙紙」を中心に特徴ある高品質な和紙を製造してきております。また、セイコー式簡易手漉き装置の発明等により紙漉きの作業の効率化に取り組んでいます。
このように、四百有余年の長い伝統と様々な技術・素材改善等の努力により、西嶋和紙は 「墨色の発色」「にじみ工合」「筆ざわり」等に特に傑出したものとなり、今や全国の書道家や書道愛好家に珍重・愛用されています。近年、若者達によるグ ループが望月清兵衛翁当時の三椏を使用した和紙を復活させ、卒業証書やインテリア、文具用紙への展開を行う等、常に新しい分野への進出、可能性の探究を積極的に行っております。平成13年6月の行幸啓の際には天皇皇后両陛下は西嶋和紙や紙漉工程をご覧くださいました。